主なUFO事件


◎ 開洋丸UFO事件(1984年12月18日 / 1986年12月21日 – 大西洋 / 太平洋) ◎

日本の農林水産省の外局である水産庁所属の漁業調査船(水産資源調査・海洋環境調査)「開洋丸」が航海中異なる海域で、二度にわたりUFOと遭遇した。
「開洋丸」(初代)は、主として海洋の水産資源にかかわる科学的調査のため、目的に応じて地球上のほとんどの海洋域を航海しており、全長は91.87m、幅15.0m、総トン数2,644トンである。
一度目の遭遇は、1984年12月18日、南米大陸南端東側の大西洋南西部で目撃者は永延幹男氏を含む乗組員5名。
光体との遭遇は8回におよび、いずれも飛行速度・飛行方向・光の輝きに規則性がなく人工衛星や流れ星でないことは明白であることからUFOと断定された。
二度目の遭遇は、アラスカ上空UFO事件から約1ヶ月後の1986年12月21日、中部太平洋のウェーク島北360マイルの海域で、目撃者は乗組員4名。
レーダースコープには、船前方から接近し、開洋丸の周囲を二回まとわりつくように飛行、鋭角にターンし消え去る巨大タンカー程の大きさの物体が映し出された。
直後に消えたはずの物体が船の後方に再出現して急接近、真上を通過した。
数百メートルの物体が低空で超高速移動とVターンを行っており、真上を通過するとき以外音が確認されていないことなどから、飛行機や自然現象でないことは明白であり、目撃、スコープが捉えた物体をUFOであると結論付けた。
目撃者である乗組員は、目視観察データの収集は高度の熟練者であり、洋上の出来事を客観的立場にたって監視する経験も豊富である事から、観察・調査の専門家によって事実が明らかとなったUFO事件であった。
本事件は科学専門誌「サイエンス」が1988年9月号・11月号に掲載、特集した。

偶然とは言い難い二度に及んだ本遭遇事件は、科学者である農学博士・永延幹男氏が目撃者から詳細に聞き取りを行ったのち、科学的に事件内容を分析した結果として、目視、或いはレーダースコープ上の特異な映像が未確認飛行物体(UFO)であったと確信し、科学専門誌「サイエンス」へと科学者生命を賭けて寄稿したものである。
また、レーダー・オペレーターであった村塚正信氏は、その道のエキスパートであることを付記しておく。
一説では、レーダーが補足した映像は、敵との電子戦を想定した米軍のECM(Electronic Counter Measures=電子対抗手段)の対処訓練がもたらした虚像(バーチャルイメージ)であるとして、二度目の遭遇事件が軽率に論じられ、貴重な科学者達によるUFO目撃事件がECMによる虚像として闇に葬り去られようとしたのである。
ECMとは、電波妨害(ジャミング)、チャフ(欺瞞)及びデコイ(陽動・囮)、ステルス(隠蔽)など、相手の電子機器の正常作動を妨げることである。
例えば敵の艦艇や航空機が発射してきた対艦ミサイルを無力化する方法としては、ミサイルを撃墜する「ハードキル」と、電波を反射する小さな物体を多数射出してミサイルをかわす「チャフ」やロケットモーターにより空中を浮遊しながら電波を放出し、敵のミサイルに艦艇と誤認或いは錯覚させるおとりの役目を担う「デコイ」と呼ぶ「ソフトキル」の二種類がある。
デコイには自ら電波を発する「アクティブデコイ」と自ら電波は出さないが電波を反射する物体を空中や海上に展開して、あたかも大きな艦艇に匹敵する目標物がそこに存在しているかのように見せかける「パッシブデコイ」とがある。
最近では「チャフ」の有効性に限界があることから、各国の艦隊は「チャフ」と「デコイ」とを併用しているようである。
2019年11月に開催された日本初の総合防衛装備品展示会(DSEI Japan)、いわゆる武器見本市において、国産の宇宙ロケット、航空機エンジン部品や武器等の開発メーカーであるIHIエアロスペースと英国の企業とが共同開発した空中浮遊式デコイ「トレロ」が展示された。
ECMによる虚像説を主張、支持する連中は、この「デコイ」を開洋丸のレーダーが補足したと決め付けているようだが、マッハ4以上の超音速で開洋丸の周囲を旋回、接近し、V字ターンという離れ業をやってのける「デコイ」など、事件から30年が経過した現代でも開発、実用化には至っていないのである。
開洋丸が搭載しているレーダーは、性能上レンジの切り替えで虚像は消去されるが、この飛行物体はレンジの切り替え如何に拘わらず鮮やかな映像としてレンジ外に飛び去るまで補足され続けたのであり、レーダーはECMがもたらした虚像ではなく、紛れもない実像としてのUFOを映し出していたことになるのである。