主なUFO事件


◎ 2-15西日本UFO事件 (1966年2月15日 – 日本) ◎

1966年2月15日午後6時過ぎ、西日本(東海・関西・中国・四国・九州)一帯の広範囲な地域で全日本空輸3機(バイカウント828-JA8210-・ボーイング727-JA8206-・フレンドシップ-JA8623)、日本航空1機(コンベア880-JA8028)、東亜航空1機(D.H.ヘロン-JA6153)の計5機が、青く強烈な光を放ち高速で飛翔するUFOと短時間(18時5分―12分)の間に連続して遭遇するという類を見ない事件が発生した。
大阪国際空港内の航空保安事務所(CAB)や天文台、気象台には地上の目撃者からの通報や問い合わせが殺到した。
本事件の遭遇者は機長を含むコクピット・クルー14名、さらに大阪・松山各空港と航空自衛隊美保地等の航空管制官が地上から目撃していた。
事件発生と共に、全日空千歳営業所、運輸省航空局高松航空保安事務所、東亜航空航務課よりIUOC(国際UFO観測隊本部)へUFO目撃情報が速報され、全国にネットされた連絡情報網から続々と本UFO事件の報告が寄せられた。
複数の「空」と「地上」のいわば“SKY”の専門家達が相次いでUFOを目撃するという日本及び世界航空宇宙史を飾る顕著なUFO飛来事件であった。
「天文現象」と明確に区別した東亜航空の土居則夫機長は、当時の状況を詳細に記録した特別レポート4枚を作成、IUOCへ提出した。
機長などから提出されたサイティング・レポート及び、IUOCの取材、調査データの分析から判明した「2―15西日本UFO事件」の全貌を紹介する。
折りしも、北の大地ハヨピラ(アイヌ民族の聖地・北海道沙流郡平取町)では、各国の公大使を招待した同年6月24日の国際UFOデー記念式典を目前に控え、宇宙史跡『太陽のピラミッド』建設の真最中であり、力強い建設の響きが随所にこだましていた。